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市川市の行徳で、 謎の地名の町をぶらり散歩【カベルナリア吉田】

めでたい地名が次々に現れる!

駅前広場にベンチが置かれ、交番がある。パチンコ屋にカラオケハウス、銀行に不動産屋。大通りを車が途切れず走り抜ける。  東京メトロ東西線の行徳駅南口。降りたものの、どうということのない駅前だ。

行徳駅南口

とりあえず駅から南へ延びる「南中央商店街」を進んでみる。

南中央商店街の街灯

駅前は店がひしめき人も多いが、駅を離れると次第に店が減っていく。街灯に連なる商店街看板が途切れたところで「新浜通り」を左折。道の片側の住所が「入船」に変わる。

少し進むと、反対側の弁当屋に「末広店」の文字――末広? 道の片側が「入船」で、反対側が「末広」、さりげなくめでたい。そしてセブンイレブンに「市川宝店」の表示――今度は宝?なんと住所が「宝2丁目」だ。さらにモスバーガーを横目に交差点を渡ると「塩焼3丁目」って? 道の右側が「宝」左が「塩焼」、サバとサンマを思いつつ歩く。その昔、市川の浜で捕れた魚を、この道を通って献上し塩焼きに……いやそんなまさか!

路上禁煙に厳しい塩焼5丁目

続いて「宝」名義のコインランドリーと釣具店が現れ、その先で道の左右とも住所が「塩焼」になる。右が塩焼2丁目、左が塩焼5丁目。塩焼の真ん中を、サンマの中骨に沿う気分で進む。  セブンイレブン市川塩焼店、塩焼中央公園、ローソン市川塩焼五丁目店! 途中で右折した先にも「塩焼第3駐車場」があり、そしてバス停が「塩焼四丁目」。  この「塩焼四丁目」バス停で異変発生。次の停留所の表示に「次は幸1丁目? 幸中央公園?」と書かれているが、そう聞かれても知るもんか。

次の停留所を利用者に問いかける塩焼四丁目バス停

とにかくこの先に、さらに「幸」という名の町もあるようだ。マンション群が見えてきて、その住所が「幸」だ!山のあなたの空遠く、幸い住むと人の言う。生まれて今日まで50ン年、僕は幸せと無縁のまま生きてきたが、ここに僕の幸せはあるのだろうか。ああっ!そして幸町の隣は、これまためでたい「日之出」だ。日之出1番地、日之出14番地!入船、末広、宝、塩焼、幸、日之出!しかもこの6つの町は隣り合っている。これはどういうことなのか?

その昔、行徳で塩を作っていた

思いきりさかのぼって江戸時代、幕府は行徳での塩作りを奨励し、海岸には塩田が広がっていた。塩作りは明治時代まで行われ、その跡地は田畑などになった。  しかし昭和30年代以降、行徳は開発が進んでいく。昭和44(1969)年には地下鉄東西線行徳駅が開業。そして田畑だった塩田跡地も土地区画整理が行われ、町に生まれ変わっていった。

この界隈の地図

このとき新しい町に、めでたい町名をつけようということになり、昭和49(1974)年に「末広町」と「入船町」「日之出町」が誕生。さらに昭和52(1977)年に「宝町」と「幸町」が誕生した。 また行徳製塩の歴史を地名に残そうということで、昭和50(1975)年に「塩焼町」が誕生。さらに駅の北東側にも昭和53(1978)年に「本塩町」が生まれている。 この「塩焼」は魚の塩焼きではなく、製塩の重要な工程のひとつ。塩分を含んだ水を、釜で炊いて「焼く」ことで、結晶化した塩を取り出す作業なのだ。サンマやサバのことではないのである。 江戸時代、行徳で作った塩を江戸に運ぶため、行徳と日本橋が水路で結ばれた。この水路を経由して成田山詣でに行く旅人も多く、中継地点の行徳は大変にぎわったとか。 ちなみに千葉県民にはなじみ深い「行徳」の地名も、他県の人にとっては難読かもしれない。戦国時代、この土地の開発と人々の強化に努めた「金海法印」という山伏がいた。「徳」が高く「行い」が正しいので「行徳さま」と崇められ、それが地名になったのだそうだ。一見ユニークな地名も由来を紐解くと、町の歴史が見えてくるから面白い。

まさかの野鳥の楽園にぼう然

さて地名の面白さこそあったが、入船から日之出まで6つの町は一般的な住宅街だ。特に名所があるわけでもなく、かといってこのまま行徳駅に戻るのもツマらない。 青空が広がり、海からの風が吹いてくる。駅とは逆方向の南へ、海があるほうへ向かってみる。

千鳥橋バス停。道沿いに森が茂る
千葉県にはカッパがいる

住宅街が途切れ、道沿いに緑が茂り、池が広がる。「ピーヒョロー」と鳴きながら頭上を舞うのは……ここにトンビ? 運河に架かる「千鳥橋」に立ち、真横の池を眺める。そこには数え切れないほど、たくさんの鳥がいる。池の水面にも、そして池を囲む塀の上にも、鳥がズラリ!

千鳥橋から見る水鳥たち

橋の上で突然の「野鳥の楽園」の風景に驚いていると、アロハシャツ姿のお兄さんが自転車でやって来て、僕の横で止まった。チノパンにビーチサンダル、黒いサングラス姿の南国仕立て。 「今日は水門を開けているね。魚が入ってくるのを、鳥が待っているのかな?」  はい? 突然話しかけられたが、何のことやら。 「そ、そうじゃないですかね(よくわからないので適当に答える)」 「いつもは(水門を)開けていないよね」 「そ、そうですね」  しばし並んで鳥を眺めたあと、お兄さんは「それじゃ」と言って走り去った。そしてほかにも立ち止まり、鳥を眺める人がたくさんいる。鳥を見ながら声をかけ合うのは、この街では当たり前のことなのだろうか。

ウシガエルとタヌキもいる!

周辺をウロウロして「野鳥観察舎入口」の表示を発見。これまためでたい名前の「福栄公園」を抜け、観察舎に続く遊歩道を進む。近隣の住所も「福栄」で、ここも昭和40年代の区画整理で生まれた町だそうだ。

福栄公園
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福栄公園の、今にも走り出しそうな少年と少女

遊歩道沿いの湿地には、木々がうっそうと茂り、まさにジャングル。時おり「モオオオウ」と聞こえる低い唸り声は、なんとウシガエルの声! ウシガエルって本当に、牛みたいに鳴くんだ。知らなかった。  生い茂る木々の隙間でサギが羽根を休め、岩の上でカメが日なたぼっこ。さらに「タヌキにエサをあげないで」と書かれた看板も。いるんだタヌキ!住宅街と見せかけて、行徳は自然の王国なのだ。

ウシガエルが鳴く湿地の草原

視界が開け、干潟が目の前に広がった。千鳥橋で見たほど多くはないが、広大な干潟に鳥が次々に飛んでくる。そんな光景の遥か向こうにビルが数軒、やけに小さく見える。 1960年代まで、東京の葛西から西船橋に至る一帯は、干潟が広がる湿地だった。特に行徳周辺の「新浜」と呼ばれるエリアは、200種以上の水鳥が飛来する、国際的にも有名な鳥類生息地だったそうだ。   都市開発で一帯は埋め立てられ、干潟は次第に消えていった。しかし貴重な水鳥の飛来地を残そうと、干潟や湿地を人工的に造成し、行徳鳥獣保護区として野鳥を保護することになったそうだ。それで住宅街の一角に、野鳥の楽園があるのだ。鳥が2羽、ガーガー鳴きながら僕の頭上をかすめて飛び、岩場の上に並んでとまった。仲睦まじい様子からして、2羽は夫婦だろうか。そして足元近くの小さな池では、カルガモが数羽、寄り添って休んでいる。

行徳鳥獣保護区の案内板

都心に直結する地下鉄が通る街・行徳。千葉県の中では都会と思われる場所だが――都会の象徴・地下鉄に乗ってこの街に来たことを、しばし忘れた。

というわけで、地名きっかけで適当に歩いた行徳散策は、意外にも豊かな自然に包まれてゴール。シメは塩焼町でサバかサンマの塩焼きでも食べていこうか!  と思ったが、世の中そんなに甘くない。塩焼町ではそう都合よく、塩焼きを出す店が見つからず、駅前の適当な店で食べて帰ったのだった。というわけで千葉ぶらり散歩の旅、次はアナタの街に突然現れるからヨロシク!

駅前の食堂で食べたサバの塩焼き

この記事を書いた人

越田

ライターテスト

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